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デモクラシー・民主主義について

大塚耕平

1.デモクラシー

民主主義とは何か。難しい問題です。民主主義陣営の中心を自負する米国の在日大使館ホームページに「民主主義の原則」という解説があります。国務省の出版物として、アメリカンセンターのホームページでも紹介されています。

詳細は直接ご覧いただくこととして、若干ご紹介します(いずれも原文ママ)。

「民主主義は、多数決原理の諸原則と、個人および少数派の権利を組み合わせたものを基盤としている。民主主義国はすべて、多数派の意思を尊重する一方で、個人および少数派集団の基本的な権利を熱心に擁護する」。

「一見すると、多数決の原理と、個人および少数派の権利の擁護とは、矛盾するように思えるかもしれない。しかし実際には、この二つの原則は、われわれの言う民主主義政府の基盤そのものを支える一対の柱なのである」。

「民主主義社会は、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。民主主義国は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。マハトマ・ガンジーはこう述べている。『不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。』」

なかなか奥深いです。そもそも「デモクラシー(民主主義)」の語源は古代ギリシャ語のdemos(人民)とkratia(権力)を合体したdemokratia。国家(集団)の権力者が構成員全員であり、意思決定は構成員の合意によって成り立つ政治体制を指します。

反対語はaristos(優れた人)とkratiaを合体した「アリストクラティア(aristokratia)」。優れた人による支配であり、貴族制や寡頭制を意味します。要するに、権力者が構成員全員か、一部かの違いです。

やがて、扇動的政治家の言説に大衆が影響され、ソクラテスが処刑されると、プラトンやアリストテレス等が「デモクラシー」を「衆愚政治」と批判。プラトンは「哲人政治」を主張しました。

もっとも、古代ギリシャに続く古代ローマでも王政が廃止され、元老院と市民集会が権力を有する「共和制」が支持されました。皇帝は非世襲となり、市民集会で選ばれ、「プリンケプス(市民の第一人者)」と位置づけられました。

近代になると「デモクラシー」は自由主義の重要な構成要素となります。啓蒙思想です。フランス革命や米国独立戦争を通して「デモクラシー」は近代市民社会の根本原理となり、議会制民主主義が普及。ホッブス、モンテスキュー、ロック、ルソー等の時代です。

18世紀米国ではdemocracyとrepublicがほぼ同じ概念を示す言葉として定着。日本の幕末・維新期にもdemocracyとrepublicがともに「共和制」と訳される場合がありました。

20世紀以降、「デモクラシー」は全体主義の反対概念として定着。しかし、その一方で、明らかに独裁・専制下の国でも「民主主義国家」を自称している場合もあります。

そこで、米国政治学の権威ロバート・ダール(1915年生、2014年没)は、「民主主義」の質をチェックする7つの基本的条件を示しました。

第1に行政官吏の公選制、第2に自由で公正な選挙、第3に普通選挙、第4に行政職の公開性、第5に表現の自由、第6に代替的情報(反対意見)へのアクセス権、第7に市民社会組織の自治。

さて、まもなく参議院選挙が始まります。自由で公正な選挙が行われなければなりません。ダールの指摘するように、それが民主主義の条件だからです。

自由で公正な選挙が行われるためには、政治や行政の実情、あるいは社会保障や経済等、政策制度の実情について、有権者が十分な情報を得ていることが前提です。

しかし、ここ数年の日本では、その情報が歪められていることはご承知のとおり。民主主義の危機です。

公文書の隠蔽、改竄、捏造、廃棄、国民に伝える情報の操作・加工・偏向。とても民主主義国家とは思えません。

それを見て見ぬふりをする、時には加担する官僚組織や官僚個人には、驚くばかりです。官僚組織が政権を過度に忖度し、慮る最近の日本の状況には、大いに懸念を抱かざるを得ません。今回の選挙、そのことも率直に訴えていきます。


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