426

ブレグジットとバックストップ

大塚耕平

2.ブリュージュ・グループ

ジョンソン首相はIT(情報技術)等を活用した国境管理方法を検討しているようですが、結局妙案が見つからず、10月末に「合意なし離脱」となるリスクがあります。

訪独後に訪仏し、マクロン大統領と会談したジョンソン首相。ブレグジットの深層を理解するには、英国vs独仏(大陸)、欧州統合の歴史に立ち返ることが不可欠。メルマガ363号(2016年7月13日)を少しプレイバックします。

時はサッチャー首相(在任1979年から1990年)の時代に遡ります。

「鉄の女(アイアン・レイディ)」と呼ばれたサッチャー首相の業績は、第1に「英国病」克服のための国内改革、第2にアルゼンチンとのフォークランド戦争、第3に米レーガン大統領と共闘した東西冷戦対応、第4は欧州統合への対応です。

いずれの業績においても、本質的には英国の主権保持という観点では共通。また、欧州統合に対するサッチャー首相の基本姿勢は、常にドイツに対する警戒心と表裏一体であったと言われています。

レーガン大統領と協力し、ゴルバチョフ書記長を懐柔。冷戦終結を進めた一方で、ドイツ再統一には警戒的。再統一を成し遂げた独コール首相との関係も微妙でした。

欧州統合については終始慎重姿勢。その理由は、欧州統合は遠からず「ドイツの影響力が大きい欧州(German Europe)」出現につながると考えたからです。

英国内にも欧州統合賛成派はいましたが、サッチャー首相は英国の国益のためには「名誉ある孤立(Splendid Isolation)」も辞さないとの考え。これがサッチャリズムの真髄です。

欧州統合の歴史も振り返ります。日本人を母に持つクーデンホーフ・カレルギー伯に端を発する欧州統合の経緯はメルマガ339号(2015年7月10日)に詳述しています。ご興味があれば、ホームページのバックナンバーからご覧ください。

サッチャー首相が登場した頃の欧州はEEC(欧州経済共同体)、ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)、Euratom(欧州原子力共同体)等が並存し、全体でECs(欧州共同体)と呼ばれていました。

英国は農業人口が少なく、農産品を輸入に依存。そのため、サッチャー首相は EC(欧州委員会)予算の7割を占める農業補助金の英国の受け取りが少なく、分担金(拠出予算)から補助金を差し引いた英国の純負担は過大と主張。分担金の払戻しを求めました。

1984年、サッチャー首相の要求は実現。EC諸国からサッチャー首相は利己的で欧州統合に後ろ向きと批判されました。

払戻し問題とともに、サッチャー首相の主要関心事は連邦主義的な欧州統合の実現を阻止することでした。

1988年7月、欧州統合推進派であったドロールEC委員長が欧州議会で演説し、「10年後にはEC諸国の立法の80%がEC起源のものになる」と発言。

その2ヶ月後、サッチャー首相はブリュージュ(ベルギー)の欧州大学院で講演。その切り出しは「この学校は勇気がある。私に欧州統合の話をさせるのは、ジンギスカンに平和共存の話をさせるようなものだ」という名台詞。「鉄の女」の面目躍如です。

講演の骨子は、欧州統合は権力や決定権の分散に配慮すべき、概念的存在である統合欧州が国家主権を侵してはならない、独立国家間の自発的協力こそが重要、等々の内容でした。

このブリュージュ演説は、統合推進派の欧州官僚(ユーロクラット)や独仏等の大陸諸国に対する英国の民主主義、議会主義、自由主義の伝統に基づく反論と言えます。

後任のメージャー首相は1992年にEU条約(マーストリヒト条約)に調印したものの、サッチャー首相の懸念を踏襲し、通貨統合等に関する英国の適用除外(オプト・アウト)を獲得。統一通貨ユーロにも、域内自由移動を認めるシェンゲン協定にも参加せず。

しかし、1997年の総選挙で勝利した労働党のブレア首相は親欧州に大きく舵を切り、欧州統合が前進。

その後、今日のEUの基礎となるリスボン条約が2009年12月発効。欧州理事会議長を実質的なEU大統領と定義し、EUの国家化が進んでいます。

ところが、時を同じくして発生した2008年リーマンショックによる世界景気後退。英国はマーストリヒト条約やシェンゲン協定に参加していないものの、EU加盟国からの大量の移民や労働者の流入が英国人の雇用を奪っているとの国内的反発が強まり、反EU世論が高まりました。

この間、上院議員に叙せられたサッチャー元首相は、欧州統合に引き続き反対。保守党内に反欧州の「ブリュージュ・グループ」が生まれ、賛同者が漸増。サッチャー元首相は2013年に他界したものの、死して影響力を残しています。

2013年1月にロンドンで演説を行った保守党のキャメロン首相。加盟国はEUに過度に委譲した権限を取り戻すべきであるとして、EUと再交渉すること、その上でEU残留の可否を問う国民投票を2017年末までに実施すると表明。

キャメロン首相は、保守党内の「ブリュージュ・グループ」の圧力、反EU世論等に直面し、2015年に迫る総選挙対策として国民投票を打ち出さざるを得ませんでした

国民投票が行われる前提条件は、2015年総選挙で保守党が勝利し、キャメロン首相が続投すること。

幸か不幸か、保守党が勝利、首相は続投。国民投票を断行し、その結果がEU離脱決定。残留を主張したキャメロン首相は退陣。皮肉な展開でした。


 次のページユーロ・ペシミズム


関連する記事はありません。