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世界終末時計と2020年の世界経済・政治情勢

大塚耕平

英国総選挙は保守党圧勝でジョンソン首相続投、米国下院ではトランプ大統領弾劾訴追を決議。世界は来年も激動の年になりそうです。日本は東京五輪に関心が集まるでしょうが、内外とも問題山積。世界の潮流や変化のスピードに遅れ気味で、マラソンに喩えると先頭集団から徐々に離れ始めています。五輪ムードに流されることなく、職責を果たし、問題の整理分析と解決策の検討・実現に努めます。


1.世界終末時計

世界終末時計(Doomsday clock)とは、核戦争等による人類絶滅(終末)を午前0時に準(なぞら)え、終末までの残り時間を「あと何分」と示す時計のことです。

日本への原爆投下から2年後、冷戦時代初期の1947年に米国の科学者等が危機を感じて始めた企画です。具体的には米国「原子力科学者会報」の表紙絵として誕生しました。

原子力科学者会は第2次世界大戦中に原爆を開発していたマンハッタン計画の参加者等が中心となって組織され、「原子力科学者会報」では核兵器の危険性について警鐘を鳴らしています。

開発して警鐘を鳴らすというのも不条理な話ですが、科学者もやってしまったことの重大さに気がついたということです。

終末時計の時刻は、当初、同誌編集主幹のユダヤ系米国人物理学者ユージン・ラビノウィッチが中心となって決めていましたが、同氏の死後は「会報」の科学安全保障委員会が協議し、時間の修正を行っています。

つまり、人類滅亡の危険性が高まれば残り時間が減り、低まれば残り時間が増えます。時計は「会報」の表紙に掲載されますが、シカゴ大学にはオブジェが存在します。

科学安全保障委員会は、ノーベル賞受賞者を含む各国の科学者や有識者等14人で構成されています。

1989年10月号からは、核兵器のみならず、気候変動による環境破壊や生命科学等の脅威も考慮して残り時間が決定されています。

残り時間の過去最短は2分、過去最長は17分。これまでの推移を整理します。最初は残り7分(1947年)からスタートしました。

創設後、ソ連が核実験に成功し、核兵器開発競争が始まったことを悲観して4分短縮して残り3分(1949年)。米ソ両国が水爆実験に成功した1953年には残り2分になりました。

科学者によるパグウォッシュ会議が開催されるようになり、米ソ国交回復が実現すると5分戻って7分(1960年)。さらに米ソが部分的核実験禁止条約に調印して12分(1963年)。

しかし、フランスと中国が核実験に成功し、第3次中東戦争、ベトナム戦争、第2次印パ戦争が発生すると再び7分に短縮(1968年)。

米国が核拡散防止条約を批准すると3分戻って10分(1969年)。米ソがSALT(第1次戦略兵器制限交渉)とABM(弾道弾迎撃ミサイル)制限条約を締結して12分(1972年)。

ところがその後、米ソ交渉が難航し、MIRV(複数核弾頭弾)配備、インドの核実験成功によって3分短縮されて9分(1974年)。

米ソ対立激化、国家主義的地域紛争の頻発、テロリストの脅威拡大、南北問題、イラン・イラク戦争等によってさらに短縮されて7分(1980年)。

軍拡競争に加え、アフガニスタン、ポーランド、南アフリカ等における人権抑圧等も反映して短縮が進み残り、4分(1981年)。さらに米ソ軍拡競争激化で残り3分(1984年)。

ところが、米ソ中距離核戦力(INF)廃棄条約締結によって3分戻り、残り6分(1988年)。湾岸戦争はあったものの、東欧民主化、冷戦終結でさらに4分戻って残り10分(1990年)。そして、ソ連崩壊、ユーゴスラビア連邦解体で7分戻って残り17分(1991年)。過去最長となって、最も人類滅亡の危機が遠のきました。

しかし、そこからは短縮の一途。ソ連崩壊後もロシアに残る核兵器の不安で残り14分(1995年)。インドとパキスタンが相次いで核兵器保有を宣言して残り9分(1998年)。

米国同時多発テロ、米国ABM条約脱退、テロリストによる大量破壊兵器使用の懸念から残り7分(2002年)。北朝鮮核実験、イラン核開発、地球温暖化進行で残り5分(2007年)。

オバマ大統領による核廃絶運動で1分戻って残り6分(2010年)となったのも束の間、核兵器拡散の危険性増大、福島原発事故を背景とした安全性懸念から再び残り5分(2012年)。さらに気候変動や核軍拡競争のため残り3分(2015年)。

そして、核廃絶や気候変動対策に消極的なトランプ大統領が登場した2017年。残り時間が少ない中で、30秒短縮されて残り2分30秒となりました。


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