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半導体業界のスイス

大塚耕平

半導体業界のスイス

2.半導体業界のスイス

そうした懸念があることを理解している故に、NVIDIAは声明の中で「Armの中立性を維持します」と言及。

Arm顧客群に含まれる半導体企業のArm離れが起きるとの指摘も出ています。早くも、カリフォルニア大学バークレー校(UCLA)が無償公開するオープンソース半導体設計IP「RISC-V(リスクファイブ)」が代替技術として注目を集めています。

Arm共同創業者ハーマン・ハウザーはロイターのインタビューで警告。曰く「ケンブリッジ、英国、欧州にとって最悪の事態。グローバルな重要性を持つ欧州最後のテクノロジー企業が米国に売却される。半導体産業のスイスであるArmのビジネスモデルが崩壊する」。

同氏はインタビューの中で英政府に対し、買収承認に3条件を付けるよう提案。第1に、英国内の雇用の保証。第2に、Armのオープンなビジネスモデルの維持。第3に、Armと顧客との関係について米国の安全保障上の問題と切り離すこと。

第3の条件から推察できるように、NVIDIAによるArm買収は単なるビジネス案件ではなく、国際関係、とりわけ米中対立にも深く関係しています。

Armの公共財的性質を鑑みると、顧客企業の属する主要国の独占禁止政策上の承認が必要になるでしょう。具体的には、米国、英国、EU(欧州連合)、中国です。

NVIDIAの声明、及びNVIDIAのファンCEO、ArmのシガースCEOの記者会見の中で、売却手続は始まったばかりで、完了までに約18ヶ月かかるとしています。

2018年、米半導体大手クアルコム(Qualcomm)がオランダNXP半導体を買収しようとした際、中国の承認が得られずに断念した事例もあります。

今回も中国の承認が最大の難関。米国と英国が同意しても、中国が難色を示し、安全保障上の問題に発展する可能性もあります。

既に、中国共産党機関紙「人民日報」系「環球時報」の論説記事は「憂慮すべき事態、世界の規制当局は慎重に承認の是非を検討する必要がある」と論評しています。

さらに「米中対立や米国による中国企業への圧力を踏まえると、Armが米国の手中に収まれば中国は極めて不利な立場に陥る」「米国の禁輸リスト(エンティティー・リスト)に加えられた中国企業はArm設計IPを用いた半導体を使用できなくなる」「Arm設計IPを使っている欧州企業も中国への輸出ができなくなる」と記しています。

こうした懸念は想定の範囲内のはずです。にもかかわらず、NVIDIAとSBGがArm買収・売却の合意に達した背景には、コロナ禍も影響しています。

NVIDIAによるArm買収は7月頃から市場で情報が流れていました。2016年のSBGによるArm買収額は320億ドル。SBGはそれを上回る対価を要求すると予想されたことから、NVIDIAは必要資金を調達できないとの見方もありました。

しかし、コロナ禍でのオンライン機器需要増加に支えられた半導体需要、コロナ対策としての各国金融緩和が同社の株価を年初来2倍以上に高騰させました。

その結果、NVIDIA株の時価総額はIntelを約5割上回る約3000億ドルに達し、株式譲渡による買収資金捻出が可能となりました。潤沢なキャッシュポジション、超低金利の現在の環境から、積極的買収に打って出る判断は合理的と言えます。

また、SBGが大規模な資金調達を迫られる状況にあったことも、NVIDIAに好機をもたらしました。資金難のSBGはArm株の新規株式公開(IPO)を検討していたため、そこにNVIDIAが割り込んだ格好です。

各国規制当局による審査が数年に及ぶ場合、NVIDIA株の下落もあり得ます。そうなれば、買収実現を巡って緊迫した状況になるでしょう。

NVIDIAは声明で「Armの拠点はケンブリッジから変えず、世界レベルのAI研究施設を立ち上げる」「Armのビジネスモデル、ブランドを継承する」と強調。それだけ先行きに不安を抱えている証であり、今後の展開から目が離せません。


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