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脱炭素と技術革新

大塚 耕平

脱炭素と技術革新

コロナ対策が迷走しています。ワクチンができてもコロナ根絶は困難と予測される中、ウィズコロナ、アフターコロナを巡る各国の鬩ぎ合いが激しさを増しています。デジタル化のみならず、脱炭素、ESG投資など、世界の潮流を見誤ることなく、かつ遅れをとることのない、大胆で本気の政策対応が求められます。


1.カーボンニュートラル

菅首相は所信表明に続いてG20オンライン会合でも2050年カーボンニュートラル(温室効果<以下温効>ガス排出量ゼロ)を宣言。年内にも実行計画をまとめるそうです。

脱炭素は世界的な潮流であり、環境負荷の小さいエネルギー技術や関連産業を創造することは日本経済の命運に関わります。

人間はローマクラブの警鐘に漸く応え始めたと言えます。京都議定書等の経緯も含め、若者世代にとってはもはや歴史の話。少し整理しておきます。

ローマクラブは1970年に設立された民間シンクタンク。資源・人口・軍拡・経済・環境破壊等の地球的課題に対処することを目指して設立されました。

世界各国の学識経験者等約100人がローマで準備会合を開催したことからローマクラブという名称が定着しました。

ローマクラブは資源と地球の有限性に着目し、1972年にまとめた報告書の中で言及した概念が「成長の限界」。環境汚染等の傾向が改善されなければ、100年以内に成長は限界に達すると警鐘を鳴らしました。

1972年、環境問題に取り組む国際機関として国連環境計画(UNEP)が設立され、「持続可能な開発」という概念が登場しました。

1987年、環境と開発に関する世界委員会(WCSD)の報告書「我ら共有の未来(Our Common Future)」において、「持続可能な開発」とは「将来世代が自らの欲求を充足する能力を損なうことなく、現在世代の欲求を満たすような開発」と定義されました。

1992年、国連加盟国、国際機関、NGO等が参加してリオ・デ・ジャネイロで「地球サミット」(国連環境開発会議)が開催され、「気候変動に関する国際連合枠組条約」を締結。155ヶ国が署名し、1994年に発効。これが、今日の潮流の出発点です。

同条約締約国の最高意思決定機関である締約国会議(Conference of the Parties、COP)は条約発効翌年から毎年開催されています。

1997年、COP3が京都で開催され、京都議定書に合意。先進国全体で1990年対比平均5.2%減の全体目標と国別目標を決定しました。

そのための手法である排出権取引(ET)やクリーン開発メカニズム(CDM)等を含む政策パッケージは「京都メカニズム」と呼ばれました。CDMは、先進国が発展途上国に資金・技術を供与して温効ガス削減対策事業を行い、その削減量を当該先進国の削減達成値に参入できるシステムです。

京都議定書で定められた国別削減目標は、1990年対比EUが8%減、米国が7%減、カナダと日本は6%減。発展途上国には目標は課されませんでした。

ところが2001年、排出量世界1位の米国が発展途上国の不参加を不満として京都議定書から離脱。本音は排出量規制が米国経済に悪影響を及ぼすと考えたためです。

2005年、発効要件である1990年の温効ガス排出量の少なくとも55%を占める55ヶ国の締結国が批准し、京都議定書は発効。しかし結果的に言えば、京都議定書は失敗。米国の離脱もあり、実績は4.3%増加に終わりました。

カナダも目標達成が不可能とわかった2011年に離脱。結果は18.2%増。その間、目標が設定されなかった発展途上国の排出量も増え続けました。

一方、EUはドイツやスペイン等が再生可能エネルギー発電電力を固定価格で買取る「固定価格買取制度(FIT)」を導入し、15.1%減の実績を残しました。

日本も自国としては1.4%増加と未達成。しかし、COP3開催国の面子を守るためにCDM等で削減量を積み増しました。

具体的には、中国やブラジルで再生エネルギー事業や工場での温効ガス削減事業等を展開。さらに期限直前にウクライナとチェコでの省エネ事業を決定し、実現後の削減量を事前にクレジット化する裏技「グリーン投資スキーム(GIS)」を考案し、帳尻を合わせました。

これらへの投下国費は1600億円。日本はクレジット分として5.9%減を確保し、さらに2001年COP7マラケシュ会議で国内森林による温効ガス吸収分も削減量にカウントすることを認めさせていたため、3.9%減を加算。

こうして、実績1.4%増からクレジット分、森林吸収分の9.8%を差引き、国連に対して8.4%減と報告しました。


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