453

単独孤立文明

大塚 耕平

単独孤立文明

2.単独孤立文明

1993年、米国の政治学者サミュエル・ハンティントンが「文明の衝突」という概念を提唱しました。

ハンティントンは冷戦後の国際紛争は文明間の対立が原因となり、文明と文明が接する断層線(フォルト・ライン)で問題が発生すると指摘。

そのうえで、長く世界の中心であった西欧文明が、中華文明、イスラム文明に対して守勢に立たされ、西欧文明の基盤(領土、経済力、軍事力等)は衰退していくと予測しました。

1990年代以降のバルカン半島民族問題、イスラム原理主義台頭、同時多発テロ、アフガニスタン紛争、イラク戦争等を鑑みると、ハンティントンの予測は的中。

「文明の衝突」の主役である中国が2010年代に国際秩序の修正を露骨に求め始めましたが、その背景には過去からの経緯もあります。

中国は有史以来、大半の時代で世界の大国。しかし、アヘン戦争(1840年)で清が英国に敗戦し、香港を割譲したところから転落が始まりました。英仏アロー戦争(1856年)、清仏戦争(1884年)、日清戦争(1894年)と敗戦が続き、1912年に清が滅亡。

第1次大戦、日中戦争、第2次大戦を経て、1949年に共産党独裁の中華人民共和国として独立しました。

1989年、天安門事件が勃発。鄧小平は民主化を要求する学生等を軍に制圧させ、「経済は開放しても、共産党独裁は変えない」方針を内外に顕示。

1990年代、鄧小平は経済発展が先行する南部諸都市を巡り、先に富める者が国を牽引することを推奨する「先富論」を説く「南巡講和」に腐心。鄧小平は1997年に死去したものの、2001年に中国がWTO(世界貿易機構)に加盟したことで、経済発展は加速しました。

鄧小平は「韜光養晦、有所作為」という遺訓も残しました。前半は、能力や才能を意味する「光」を「韜(つつ)み」「養(やしな)い」「晦(かく)す」、すなわち「力を蓄える」の含意、後半は「やる時にはやる」と訳せます。

江沢民(国家主席在任1993~2003年)期、及び胡錦濤(同2003~2013年)期前半は遺訓を堅守。しかし、2009年7月の駐外使節会議(5年に1回開催される北京駐在大使会議)の演説で、胡錦濤は鄧小平の遺訓の前半、後半に2文字ずつ加えて「堅持韜光養晦、積極有所作為」と修正して発言。後半は「そろそろ討って出る」と解せます。

それに先立つ2008年、中国は米中海軍首脳会談でハワイを境に太平洋を東西分割統治することを提案。その事実は、会談に出席した米海軍司令官ティモシー・キーティングが翌年の議会証言で明らかにしました。

2010年、中国はGDPで日本を抜いて世界2位に浮上。2010年代以降、覇権国家への挑戦姿勢を明確にしています。

歴史上、最初の世界帝国は13世紀のモンゴル。以後、ヴェネチィア、ポルトガル、スペイン、オランダに続き、19世紀は英国、20世紀は米国が覇権を握りました。

ヴェネチィア以降、海軍力、基軸通貨、それらを駆使して得た植民地(あるいは事実上の属国)が覇権国家の3点セット。

第2次大戦後、敗戦国西ドイツのGDPが1960年に英国を上回り、1968年には日本が西ドイツを抜いて2位。

1979年、エズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が出版され、日本の経済力はバブル時代に全盛期を迎えました。

しかし日本は覇権国家にはなり得ません。当然です。海軍力も基軸通貨も植民地も有さず、国際秩序を維持する役割を担っていたわけではないからです。

ヴェネティア以降、米国に至るまで、西洋文明内での覇権交代でしたが、中国の台頭は文明間での覇権交代を意味します。

中国は覇権国家の歴史と要件をよく研究しています。米海軍出身の戦略研究家アルフレッド・セイヤー・マハンの「海軍戦略」、英海軍に属した軍事学者ジュリアン・コーベットの「海洋戦略」を理解し、米国に匹敵する海軍力を目指しています。

人民元の基軸通貨化、デジタル人民元の先行普及に腐心しているほか、「債務の罠」との批判も気にせず、巨額融資を駆使してアフリカや中南米諸国への影響力を拡大しています。

ハンティントンはフォルトライン紛争の発生を予測しています。そして、フォルトライン上に位置するのが日本。

ハンティントンは、日本を中華文明から派生した単独国の孤立文明と類型化しました。フォルトライン上の単独孤立文明日本は、難しい局面に直面しています。


 次のページ3.牛に引かれて善光寺参り


関連する記事はありません。

 menu LINK