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アラビアのロレンス

大塚 耕平

アラビアのロレンス

3.インティファーダ

1967年、ゴラン高原でのユダヤ人入植地建設を巡ってイスラエルとアラブ諸国が対立。ゴラン高原は、イスラエル、レバノン、ヨルダン、シリアの4ヶ国が接する国境地帯です。 同年6月、イスラエルはエジプト、レバノン、ヨルダン、シリアの空軍基地を先制攻撃。第3次中東戦争が勃発。アラブ諸国は緒戦で400機以上の航空機を破壊され、制空権を喪失。その結果、地上戦でも敗北。 イスラエルは、ヨルダン領エルサレム旧市街(東部)、ヨルダン川西岸地区、エジプト領ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原を一気に占領。 開戦6日後に早くも停戦が成立したため、「6日戦争」と呼ばれる第3次中東戦争。国連はイスラエルの領土拡大を否認。イスラエルは建国当初の領土に押し戻されたものの、事実上、パレスチナ全域を実効支配。第1次中東戦争時以上のパレスチナ難民が発生しました。 イスラエルはスエズ運河東岸も占領したため、スエズ運河は前線地帯となり、次の第4次中東戦争が終わるまでの8年間、使用できなくなりました。

その後、イスラエルとエジプトの間で散発的な軍事衝突を起こしつつ、数年が経過。1973年10月6日、エジプトは失地回復のためシリアとともにイスラエルを先制攻撃。第4次中東戦争が勃発しました。 ユダヤ教徒の休日(ヨム・キプールと言われる贖罪日)を狙った先制攻撃であったこと、エジプトは第3次中東戦争での制空権喪失の経験を踏まえ、地対空ミサイルで徹底的にイスラエル空軍機攻撃を行ったこと等が奏功し、緒戦はエジプト優勢。

しかし、自力に勝るイスラエルはまもなく反撃。一度は占領されたゴラン高原やスエズ運河周辺域を奪還。やがて、国際社会の調停により10月23日に停戦成立。第4次中東戦争は、「10月戦争」「ヨム・キプール戦争」とも言われます。

戦闘期間中、アラブ産油国は原油価格を引き上げたほか、イスラエルを支援する米蘭への石油輸出を禁止。日本を含む親米西側諸国にも輸出制限を行い、第1次石油ショックが発生。これを機に、アラブ産油国は欧米オイルメジャーから価格決定権を奪取。以後の産油国の発展につながっていきます。

第4次中東戦争後、イスラエルとアラブ諸国の関係に構造的変化が生じます。エジプト大統領サダトが反イスラエル路線を転換。1978年3月、キャンプ・デービッド合意(エジプト・イスラエル和平合意)に調印。 アラブ諸国の結束を崩した一方、サダトはノーベル平和賞を受賞。しかし、3年後、イスラム原理主義者により暗殺されました。

1979年2月、イランではイスラム革命が勃発。親米国王パーレビは追放され、国外亡命していたホメイニ師が帰国。反米イスラム国家が誕生します。 イスラム革命の波及を恐れた周辺アラブ諸国や米ソ両国は、イランの隣国イラクを支援し、イラン・イラク戦争を扇動。 1982年、イスラエルがレバノンに侵攻(アラブ側は第5次中東戦争と認識)。ところが、それまでの自衛戦争とは異質であったため、イスラエル国内が厭戦ムードとなって撤退。

1987年、ガザ地区でイスラエル軍に対する大規模な抵抗運動(第1次インティファーダ)が発生。インティファーダはアラビア語で「反乱」「蜂起」を意味します。

1990年のイラクのクウェート侵攻を機に、翌1991年、湾岸戦争が勃発。アラブ諸国同士が対立する展開となり、中東情勢は複雑化していきました。

さらに、産油国と非産油国の利害対立、冷戦終結、ソ連崩壊等の影響から、アラブ諸国の対イスラエルの姿勢が多様化。結局、イスラエルの敵対勢力はアラブ諸国から非政府組織であるパレスチナ解放機構(PLO<1964年設立>)等に移行してきます。

1991年、中東和平会議開催。1992年、イスラエルで和平派のラビンが首相に就任。1993年、米国で中東和平重視のクリントンが大統領に就任。ラビン、クリントンの調整により、同年9月、イスラエルとPLOが相互承認し、パレスチナ暫定自治協定に調印。

その結果、ヨルダン川西岸地区とガザ地区はパレスチナ自治政府が統治することとなり、アラファトが初代大統領に就任。1994年、ラビンとアラファトはノーベル平和賞を受賞。しかし、それぞれイスラエル極右勢力、パレスチナ過激派から憎まれ、1995年、ラビンは極右ユダヤ青年に暗殺されます(アラファトは2004年に病没)。

その後も不安定な情勢が続いた後、2000年、イスラエルの右派政党党首シャロンがエルサレム「神殿の丘」 訪問を契機にパレスチナ全域で第2次インティファーダが発生。中東和平は崩壊しました。 「神殿の丘」はイスラム教管理下にあり、ユダヤ教、キリスト教は宗教的行事を行わないことになっていたにもかかわらず、シャロンがそれを破ったと言われています。

翌2001年、イスラエル首相に就任したシャロンは、PLOやハマス(1987年設立)をテロ勢力と見なして幹部暗殺を開始。ハマスは1987年に設立された政党。アラビア語の「イスラム抵抗運動」の頭文字をとって「ハマス」です。

2006年、イスラエルが再びレバノン侵攻。2008年、ガザ地区を実効支配するハマスとイスラエルの間で紛争勃発(ガザ紛争)。2014年、イスラエルはガザに侵攻。 2011年には「アラブの春」が発生。イスラエル、パレスチナを囲むアラブ諸国では民主化勢力による政変が勃発。

北に位置するシリアでは、独裁政権(アサド)側が民主化勢力を駆逐。今日に至るシリア内戦に発展。今や米露中英仏、IS(イスラム国)、反政府組織等、敵味方入り乱れて泥沼状態。 この間、2004年に死去したアラファトの後を受けてパレスチナ自治政府ではアッバースが第2代大統領に就任。イスラエルでは2009年、ネタニヤフが2度目の首相就任。

2017年、米国大統領に就任したトランプは、内政が迷走する中、大統領就任後初の外国訪問先として中東を選び、そのネタニヤフとアッバースと会談。 トランプはネタニヤフに「米国とイスラエルは共通の価値を有する」と語り、米国大統領として初めてエルサレム「嘆きの壁」 を訪問。米国大使館をテルアビブからエルサレムに移転させ、ハマスやパレスチナ難民、アラブ人の反感を高め、大統領を去りました。トランプ時代の史実は時間をかけて整理する必要があります。

フセイン、ウサマ・ビンラディン、アルカイーダ、ISを巡る史実も、知ると驚きます。全て最初に資金と武器を提供したのは米国です。長くなるので、今回はここまでにしておきます。

(了)



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