491

ルビコン川を渡った

事務所

ルビコン川を渡った

3.死ぬ瞬間

テムズ・スピーチが行われ、岸田首相がルビコン川を渡るのに先立つ4月19日、三井物産戦略研究所が「変容するチャイナリスク」と題したレポートを公表しました。

「中国ビジネスの機会拡大とリスクの複雑化」が進む中、中国リスクを偏見や感情論抜きで冷静に評価することの重要性を説いたレポートです。興味深く読みました。

中国でビジネス展開する日本企業にとって、新製品発表や工場起工式等のイベント開催の禁忌日があります。禁忌日に強行すると被害に遭う場合があります。

最近でも実例が出ています。ソニー中国法人が昨年7月7日に新製品発表を行い、「国家の尊厳を損ねた」として罰金処分を科されました。7月7日は盧溝橋事件勃発日でした。主な禁忌日は以下のとおりです。

5月4日(五四運動)、5月9日(対華21ヶ条要求受諾)、6月4日(天安門事件)、7月1日(共産党成立)、7月7日(盧溝橋事件)、8月1日(人民解放軍成立)、8月13日(上海事変)、9月3日(抗日戦争勝利)、9月18日(柳条湖事件)、12月13日(南京事件)。

これは政治リスク顕現化の典型例ですが、そのリスクを甘受しても余りある経済メリットがあると思うから日本企業は進出してきました。

中国は今年、高所得国になる見込みです。2021年の中国国民1人当たりGNI(国民総所得)は12438ドル(約153万円)で、今年の政府成長目標(5.5%前後)を達成すれば、世界銀行の示す高所得国(12696ドル以上)入りは確実です。

2020年の海外直接投資受入は中国(1630億ドル)が米国(1340億ドル)を上回り、世界一を奪取。名目GDPでは2030年前後に米国を抜き、経済規模は世界最大になる見通しです。

消費高度化や脱炭素シフトなど先進国と同じトレンドであり、DX進展も著しく、中国市場を新しいビジネスやサービスの実験場と見做す欧米企業も少なくありません。

経済的誘因が絶えない一方、政治リスクは高まっています。強権的社会統制、唐突強引な市場介入、新疆等を巡る人権抑圧、台湾問題、米中対立、中露蜜月等、懸念は拡大しています。

中国政府は中国の「核心的利益」侵害に及ぶ外国政府・企業を徹底弾圧する方針です。「核心的利益」とは、2011年公表の「中国の平和発展白書」によると「国家主権」「国家安全」「領土の一体性」「国家統一」「憲法によって確立された国家の政治制度と社会の安定」「経済社会の持続可能な発展の基本的保障」です。

中国ビジネスにおける経済リスクと政治リスクは表裏一体、密接不可分であり、両者の関連性はより深まっています。

同レポートは中国リスクを3つに分類し、リスク評価を5段階に分けて解説(詳細はご一読ください)。そして、リスク要因を検討した結果とビジネスリターンを比較し、総合評価が必要としています。

要するに、この項の冒頭で記したように「中国ビジネスの機会拡大とリスクの複雑化」が進む中、中国リスクを偏見や感情論抜きで冷静に評価し、「臆病にならず、冷静に分析して、ビジネスを展開すべし」という結論のようです。

テムズ・スピーチと岸田首相のルビコン川渡河以前のレポートですから、その後の認識は変わっているかもしれません。しかし、このトーンが経済界の共通認識だとすれば、「正常化バイアス」がかかっているという印象です。

過去のメルマガで何度か取り上げた日本社会の体質である「正常化バイアス」とは「根拠なく、たぶん大丈夫と考えて現状維持を惰性で続ける体質」を示しています。

日本の体質を別の視点から捉えると、1969年にベストセラーになった精神科医エリザベス・キューブラー・ロスの著書「死ぬ瞬間」の内容にも準えます。ロスは死に至る心理を「否認」「怒り」「取引」「抑鬱」「受容」の5段階に分けています。

中国リスクはたぶん大丈夫、グローバルサプライチェーンに組み込まれた中国は最後には自制するという楽観論によって問題の存在を「否定」。

しかし、現実に中国リスクが明らかになると「中国進出は皆がやっていること」「どうしようもない」「今さら中国と手は切れない」との「怒り」。

次は「いろいろ考えるとデメリットもメリットもある」「総合評価と総合判断が重要」と自らに言い聞かせて心の中で「取引」。

事態の深刻さを否定できなくなるとフリーズして、呆然(茫然)とする「抑鬱」。そして、結果的に完敗して軍門に下る「受容」。

日中関係が改善するように微力ながら努力します。同時に、経済界や企業、大学等のアカデミアが目先の利益を優先して根本的リスクに目を背けることのないよう、より正確な情報提供に努めます。

(了)



関連する記事はありません。

 menu LINK