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「半導体戦争」敗戦

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「半導体戦争」敗戦

先日の三連休、政治に興味があるという高校生と懇談。話は日本経済に及び、世界における日本の位置づけについて感想を聞いてみました。「例えば、半導体産業についてどう思う」と聞くと「台湾、韓国より強く、世界一」との反応。高校生の夢は壊したくないものの、間違った現状認識は若者や日本の将来にプラスにならないので「残念だけど現実は違うよ。詳しくはメルマガに書きます」と伝えたので、今回はその内容です。

1.小欣欣豆乳店朝食会議

「半導体」は素材の呼称であり、本来は「集積回路(IC)」と言うべきですが、日本では「半導体」が通称として定着。それも問題ですが、とりあえず「半導体」と呼称します。

米国で誕生した半導体の技術情報が徐々に開示され、真っ先に追随して国策としてキャッチアップしたのは日本です。

台湾も日本を真似て1970年代に国策として半導体産業に取り組み始めます。既存組織を再編し、1973年に工業技術研究院(ITRI)を設立。翌1974年、ITRIの下に電子工業研究発展センターを設置しました。

この段階で台湾半導体産業の第1のキーパーソン、潘文淵が登場。1912年江蘇省生まれの潘氏は戦火を逃れて米スタンフォード大学留学。工学博士号取得後にRCA(Radio Corp of America)に入社。1973年時点では集積回路R&D総括長に就いていました。

共産主義国家となった中国に対抗する台湾の発展に貢献したいという願いとともに、半導体が世界の産業の要になることを予見した潘氏は、台湾政府の顧問として活動。

節目になったのは1974年2月7日、台北市内の小欣欣豆乳店で行われた朝食会議です。台湾半導体史において伝説的会議と位置づけられています。

潘氏ほか7名が出席。潘氏のほかは、行政院秘書長(日本の官房長官)、経済相等の閣僚と官僚幹部です。

潘氏は、台湾の電子産業発展を促すためには半導体産業に取り組むことが不可欠であり、基盤確立の時間短縮のために米国から技術を導入することを主張。参加者は潘氏の意見に同意し、台湾の半導体産業育成の方向性が共有されました。

潘氏は米国に在米電子技術顧問委員会(TAC)を設立。TACを介して人材確保、技術導入に尽力。RCAを退職した上で、台湾政府とRCAの間で技術移転契約を締結。330人の台湾人エンジニアの米国研修を実現。この人材が初期の台湾半導体産業の中核を形成します。

1980年、電子センターのモデル工場を聯華電子(UMC)として企業化。そこで重要な役割を果たし
たのが事実上の創業者となった第2のキーパーソン曹興誠(ロバート・ツァオ)です。

曹興誠は1947年北京生まれ。1949年に家族とともに台湾に移住し、台湾大学卒業後にITRIに勤務。1980年に退職して、UMC設立に参画。

UMCはTSMCより先行したファウンドリ企業です。同年にスタートした新竹市の科学学園区(サイエンス・パーク)を拠点としました。

1980年に設立された新竹学園区に続き、1996年には南部、2003年には中部でも同様の学園区が設立されました。いずれも今や台湾半導体産業の集積地。

1983年、潘氏は第3のキーパーソンとなるTI(テキサス・インスツルメント)VP(バイス・プレジデント)の張忠謀(モーリス・チャン)に接触。潘氏は海外台湾人材の活用・還流を企図し、米国で活躍する張氏に注目していました。

張氏は1931年浙江省生まれ、国共内戦中の1948年に香港移住、1949年米ハーバード大学へ入学後、MIT(マサチューセッツ工科大学)に編入。同校で修士号取得後にTI入社。1964年にはスタンフォード大学で電気工学博士号取得。

1985年、張氏は潘氏に招請されてITRI院長に就任。UMCの曹氏と同様にファウンドリ企業の重要性と将来性に着目していました。

米国、日本を中心とする当時の先行半導体企業はIDM方式の企業体です。IDMとは「Integrated Device Manufacturer」の略であり、つまり半導体製造の「前工程」「後工程」全体を有する企業体です。

しかし、半導体産業の将来を見通した曹氏と張氏は、ともにファブレス企業(製造部門を有しない企画設計専門企業)から製造を受託するファウンドリ企業という新しいビジネスモデルに着目。単なるOEM生産(委託者のブランドで受託生産)ではなく、自ら独自の製造技術を有する自社ブランドの生産専門企業です。

米国はIMD方式企業体でも技術開発や経営革新が継続的に続いていますが、日本のIMD方式企業は相対的に保守的・年功重視・技術者軽視等の傾向が強く、後に日本企業の凋落をもたらします。

張氏は1987年にITRIを辞し、自ら台湾積体電路製造(TSMC< Taiwan Semiconductor Manufacturing Company>)を設立。

同氏は、台湾人には米国理工系大学院以上の学歴を有する技術者が多いという強みを活かし、台湾人研究者・エンジニアの継続的な育成・活用に腐心。

また、3つの学園区を高速道路・新幹線網で結ぶことを政府とともに推進。高速道路・新幹線網で結ばれた3学園区の工場や事業所は研究者やエンジニアの移動も円滑。半導体の世代シフトを円滑に進めるために3学園区の工場を計画的に使い分けています。


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